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Posted by 滋賀咲くブログ at

044.テキトーお菓子づくり


◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

 ご興味のある方はどうぞ覗いて行ってやってください。




【2006~2007年頃? 記】
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おからで謎のお菓子を制作してみた。

お菓子をつくりたくても、分量をちゃんと計ったり、粉をふるいにかけたり、
生地を寝かせたり、型を整えたりっていう面倒な作業が多いですよねー。

しかも無塩バターや生クリームなんて常備してないし…
適当にできないから余計に億劫になる。

でも、一度「面倒じゃない」と認識すれば、楽にできるものかもしれません。



ある日の夕方。
おからを使わねば。そして小腹が空いた。
しかし今すぐできそうないいレシピがない。

以前ネットから印刷しておいた、投稿者からのおからを使ったレシピをいくつかを見て、
なんかテキトーにできそうな気がした。
てか変なモノを入れなければ変なモノはできないだろう。
食べるのは自分だからこだわる必要もない。

テキトーにおからをチンして(から炒りの変わり)、袋から直接
小麦粉ときなこと砂糖とふくらし粉をテキトーに加えて(もちろんふるってなどいない)、
油(料理に使う普通のサラダ油)と牛乳を
これまたテキトーに加えて混ぜて(普通のスプーンで)、
ラップでまとめて冷蔵庫に入れて、
待ちきれなくて10分くらいで出して(冷やした意味なし)、
スプーンでテキトーに切り分けて押しつぶして並べて(大きさ厚みバラバラ)、
テキトーにトースターで焼いて(オーブンでなく、トースター)、
よーわからんけどこんなもんかなってくらいで出して(焼き上がりがよくわからん)、
冷めるのを待ちきれずに(焼き菓子は普通冷ますはず)、そのままパクリ!

・・・お?
意外にイケる!

外はカリッと、中はおから効果でもちもちっと☆
クッキーかスコーンかマドレーヌかパンか、一体何になるのかわからず、
食べても謎のままやったけど、まぁ美味しいからいっか♪

お菓子もテキトーでもできるやーん!
量も計らず、粉もふるわず、寝かせもせず、型も整えず・・・
それでもなんとかなりました。
どこかの部族や民族料理だって、テキトーにつくってはるもんね。



最近、読んだ本の影響でフランス的思考になりつつある。
お菓子の本場でありながら、フランスのマダム達のお茶会に登場するお菓子は、
評判のお店やお取り寄せのものじゃなく、彼女達の手づくりのものだそうだ。
しかも家にあるありあわせの材料でざっくりつくった素朴な味。

今回つくってみて、きっとこんな感じなんだろうなと思った。
それでも充分美味しいし、お菓子がどうであれ、おしゃべりの楽しさに変わりはない。
そういう意識というか、考え方っていいなと思うのです。

ちなみにケーキもパンも、本場フランスよりも、
日本の方が遥かに種類が豊富で凝ったものが多いそうだ。

日本の食べものが、実は、一番すごいのかも。

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思い込みというのは、人間の動きを左右しますね。

「食わず嫌い」という言葉がありますが、
まずは食べてみて、それでも無理だったら仕方ない。
無理だという思い込みは、行動が制限されてしまいますね。

無理せず、気軽にできる方法を見つけていきたいものです。

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン

043.料理は想像と創造


◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

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【2006~2007年頃? 記】
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最近よく料理をする友人が言ってたこと。

「味を想像すんねん。どうしたらあの味になるか、こうしたらどんな味になるか」

私はかなりマニュアル人間なので、
正確な分量を計るお菓子とかはともかく、
「適量」とか「少々」とかそんな曖昧な、
しない人にとってはその量の想像が全くつかないような
言葉の多発する料理は不得意だと敬遠してました。
(もともとテキトーなO型やし、お菓子つくる時でもその血が見え隠れするけど…)

ただ単につくる機会と意志がなかっただけとも言えますが。


話を戻すと、確かに和食はほとんど同じ調味料で、
その量の比率の違いだけで味付けが変わっているようです。
その比率は、味を想像して予想して入れてみる。
味見してまた考える。結構な想像力と思考力が必要な作業ですね。


そして、食材選び。
これもいい食材を見る目、食べ合わせや栄養の知識が必要で、
彩りや見た目の美しさにも関わってきます。

またどんな切り方をするか、火の通りや見た目、
食べやすさを考え、そもそものカット技術も必要です。

さらに見た目や盛り付けの美しさも求められ、
料理は究極の芸術だな~と、いま改めて考え直して思いました。


食べることは、人間が生きていく上で欠かせないものであり、
健康に大きく関わり、また節約を求められるところでもあります。

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料理は、想像力と創造性を養う、クリエイティブな作業です。


過去の文章では締まりがないので、上記の一文で締めときたいと思います。

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン

012.幸せクリエイター

◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

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【2006~2007年頃? 記】
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昔、ある友人に贈り物をして、すごく喜んでくれて、
そのお礼の手紙ですごく嬉しい言葉を貰った。


私は「幸せクリエイターだね」って。


泣きそうに嬉しかった。

その場にあったノートを切り取って書いたであろう、
中学生が授業中に回してたような折り方の手紙。
それは今でも宝物です。

自分が幸せにした人から貰う感謝の気持ちで、
自分はもっと幸せになれるんだと思った。

他人の為と思ってしていることも、
それによって自分が幸せになれるからするんだ。

喜ばせたいと思うのも、笑わせたいと思うのも、
結局自分の為。
人の為だなんておこがましい。

喜んでいる姿を見て、笑ってる姿を見て、
嬉しいのは誰かと言えば私です。

喜んでくれてありがとう、笑ってくれてありがとう。

私も幸せです。

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この時、本当に嬉しかったんですね~。

人を喜ばせることがこんなにも嬉しいことを
この時に身に染みて感じました。

人に喜んでもらうことは、自分の喜びと繋がっている。


それは好循環を起こすと思いませんか。

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン

011.素材になる

◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

 ご興味のある方はどうぞ覗いて行ってやってください。




【2006~2007年頃? 記】
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何も考えなければ捨てられてしまうようなものも、
何かに使えるかもと思って残してしまったり、貰ってしまうことがある。

あるいは道端の野の花に心引かれて写真を撮ったり、
落ちているドングリや小枝を拾って帰ったりもした。

何か目的があるわけではなく、ただ単にもったいない。
商品のパッケージやタグだって、何かに使える可能性は十分ある。


捨てられるもの、本来使わないものから何かを考える、作り出す、利用する。
そこからエコが始まり、環境を守ることに繋がるんじゃないだろうか。

もう一度、捨てる前に考えてあげて下さい。
それは、本当にもう何にも使えないのですか?
壊され、燃やされ、埋められるしか道はないのでしょうか?
あなたが必要としないだけで、他の人には価値のあるものではありませんか?
もう少し考えてあげませんか?
モノの命。



封筒を手づくりするのも楽しい。

よくお店とかでフリーペーパーなどの紙モノをもらってくるので、
それらを使って適当に封筒をつくるのにハマッたこともあった。
映画のチラシとかオススメです。

私は結構テキトーなので、まんま長方形の紙を三つに折って横をテープで留めるだけ。
見た目は美しくないけれど、相手が好きそうな絵や言葉が載っているものを選んだり、
表に出る面を吟味したりするのが楽しくもある。
とにかく喜んでもらえさえすればいい。
なんせ自己満足ですから!

街中にはタダでもらえる封筒が溢れている。
ていうか、封筒だけに限らず、いろんなことに使えます。
もう素材だらけです。

意識しなければなんとも思わず目にも留まらないでしょうが、
これは使えると思い出すと街中が宝の山に見えてくる。
便箋さえもフリーペーパーの裏紙利用してみたり。

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ただ危険なのは、いろんなものが素材に見えてしまうと
捨てられないものが増えていくのです・・・

他の人からしたら絶対に不要なゴミであっても、素材に見えてしまう。
捨てられネーゼの方はご注意ください。(私自身ですが)

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン

010.ものづくり

◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

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【2006~2007年頃? 記】
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貧しい状況で良かったと思うのは、創作意欲が湧くこと。

そしてモノを買う前に、それが本当に必要か、
本当にその値段を払う価値があるのか、よーくよーく考えて買うようになったこと。


下手したら学生時代よりもシビアな状況なんだけど、
もし私が自由に使えるお金をたくさん持っていたら、
欲しいと思ったら何も考えずに買ってしまうし、
自分でつくろうなんて思わないんだろう。


ゼロからモノをつくりだすことは確かに素晴らしいことだけど、
「つくること」の陰にある、そして共にある、
「すてること」にもっと目を向けたつくり手が増えるといいのにと思う。

つくった後に残るもの、それは必要のないもの、捨てるものでしかないのかもしれない。
でも発想を変えればそれは素材になる。その可能性がある。
何も思わずゴミにするではなく、はたと立ち止まって考えてほしい。

捨てる方が楽だから、お金がかからないから、
そういう理由で捨ててしまうことは私も例外でなくあるんだけれど。。。


食材の買い物にはエコバッグを持って行くのと同じように、
服を買う時の過剰包装もたまには断わってみるとか。
(高価なものや好きなデザインの袋ならそうしてもらいたいけど…)

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009.と繋がることでもあります。

そして、「整理」について学んだ今なら余計に実感する、
「捨てる」ことへの意識。

捨てられることを想定する、そしていかに無駄を減らすかを、
特に大企業は考えるべきだと思います。

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン

009.貧しさはクリエイティブの原動力

◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。

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 点線の内側が当時の内容
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 その下は現在の自分からの感想です。

 ご興味のある方はどうぞ覗いて行ってやってください。




【2006~2007年頃? 記】
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あるデザイナーが、
デザイナーになったのは「欲しいものが買えなかったから」だと言った。


欲しいものが買えないなら、諦めるか、どうにかして自分でつくるか。
その人は後者だったようだ。


また、「欲しいものが売ってなかったから」と言うデザイナーもいた。


確かに買えてしまうなら買ってしまうだろう。
買えない、もしくは欲しいものが売ってないなら
自分でつくればいいと考えるのは自然な流れかもしれない。
貧乏であるが故に、何とかできないかと頭を働かせる。

今あるもので、自分で考えて工夫して何かをするのが私は結構好きなようだ。
制限の無い自由を与えられるのが苦手なため、
何か制約や条件がある方が良いものができると思う。


料理は脳の活性化に良いと言われるが、
今ある材料でできるメニューを考えるのが楽しかったり、
どう切ってどう調理してどんな味付けでどの器にどう盛りつけるか…
料理はすごくクリエイティブな作業であると言うのも頷ける。


本来捨てられるものに何か新たな役割を見出せないか、
別の用途に活用できないか、ひとつの作業をより効率的にできる方法はないか、
同じ行為でもどうすればもっと楽しめるか。
そんなことを考えるのも好きなのです。

お金で解決できることって世の中にはいっっぱいある。
でもそうやって簡単に済ませられ、便利なモノやシステムが作り出され、
与えられていくにつれ、人はどんどん考えないようになっていくんじゃないだろうか。
それに、お金を持っている人が考えるものは、
お金を持っている人のためのものになる気がする。


負け惜しみと強がりでもあることは否定しないけれど、
貧しいからこそ、その中で考え、つくり出すってことが身に付いていくんだと思う。

そりゃお金はあった方がいろいろ楽しめるだろうけど、
そうじゃない楽しさも、私は好きだ。

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私はそう稼いでいる方ではなく、安定もしていないので、
常々、節約生活の身の上です。

そのため、「いかにお金を使わずして生きていくか」を
考えながら暮らしていて、それがそんなに苦ではなく、
むしろその状況でいかに創造できるかを楽しんでいる節があります。

あるものでなんとかする、作れるものは作る。

そうすることで得るものもあるはずです。

  


Posted by mocchi at 22:22Comments(0)創造とデザイン