◆10年ほど前に殴り書きしていた独り言をつらつらと綴っています。
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点線の内側が当時の内容
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その下は現在の自分からの感想です。
ご興味のある方はどうぞ覗いて行ってやってください。
【2006~2007年頃? 記】
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我慢はしません。
私に足りないというかほぼ無いもののひとつがストイックさ。
スポーツをやる人には確実に必要なものでしょう。
何かを成し遂げるまで他のものを完全に絶ったり自分を追い込んだり、
そういうのが無理!
だから人より何倍も時間がかかっちゃうんやろなぁ。
でも、我慢するより頑張って成し遂げた方がいいと思う。
ほな頑張ってるんかと問われたら頑張ってないかもしれんけど…
中学の時、担任の先生との個人懇談会みたいのがあって、
私が嫌いなクラスメイトがいるっていう相談をしました。
悪口的なことも言っちゃったんやけど、その先生は、
「悪口を言ったらそれが廻り廻っていつか自分にも返ってくる。
悪口なんて言っても何にも良いことない。
合わない人は絶対にいるしそれは仕方ない。
その人の為に自分がまた悪口を言われるなんてアホらしい。
それに我慢してまで一緒に居たい人なのか?よく考えてみなさい。」
こんな感じのことを言ってくれました。
それが良かったのかどうかはわからんけど、その時の私は目から鱗!
悟りを開いたようにまで思いました。
「そっか、一緒に居んかったらいいんやん。気にせんかったらいいんや。」
そう思ったら気が楽になって、一人で行動するようになりました。
といっても一人の行動なんてお手洗いとか移動教室くらいやったと思うけど。
でも高校では少し状況が違いました。
何人かのグループ内で、私は発言できなくなって、
自分はこの場所に必要ないと思うようになりました。
私が居なくても会話は弾むし、むしろ私が話すとおもんないししらける気がして…
存在意義すら疑いました。
決してイジメられてるわけではないのに、空気みたいな存在で、
自殺する人の気持ちがちょっとわかる気がした。
発言しても笑ってもらえない、すると怖くなってもっとおもんなくなる。
悪循環。
なんで私はここにいるんやろ?
ずっとそんなかんじ。
きっとあの頃の私はウザかったやろなぁ。
それでも、中学の時と違って一人にならなかった理由は、
そのグループの人達が嫌いじゃなかったから。
我慢してでも一緒に居たかったから。
でも、だからこそ辛かった。
嫌な思いをさせてることが。
打ち明けようと思ったこともあったけど、
それを聞いたらみんなが嫌な気持ちになるやろなぁって思うと無理やった。
卒業してから、大学での生活が私に自信を取り戻させてくれました。
なんせみんな優しいからツッコミ役が少ないみたいで、
私の役割が必要な気がして(笑)
それからたまに会う当時のメンバーとも普通に話せるようになって、
あの時頑張って一緒に居ることを選んでよかったなぁと思った。
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結局、最後は「我慢して良かった」っていうような締めになってますね(笑)
あーいろいろあったなぁと懐かしい気持ちです。
(そして語尾が統一されてないのが気になりますが、勢いで書いたんでしょう)
我慢しても良いところと、我慢すべきでないところ、
自分次第で見極めが必要なんでしょうね。
でも、我慢して死にたくなるくらいなら逃げても全然いいと今は思ってます。
我慢強さは日本人の美徳であるようにも言われますが、
それで心身に負担がかかるくらいなら、クソくらえだと思います。